クリスティーヌ・ワレフスカ略歴
2009年06月10日
ロサンジェルス生まれ。楽器商の父とヴァイオリニストの母をもつ。父からチェロの手ほどきを受けたのち13歳でピィアテイゴルスキーに師事し、アメリカ楽壇にデビューする。当時の批評家から「フリッツ・クライスラーのヴァイオリンに匹敵する、説得力のある音楽」と評される。
16歳で奨学金を得てフランスへ留学し、パリ音楽院でモーリス・マレシャルに師事する。アメリカ人として初のチェロと室内楽で1等を取り卒業した後、ドイツを手始めとしてヨーロッパ中で演奏活動を行う。ヨセフ・スークの招きでプラハの春音楽祭に出演するほか、北米、南米、日本でツアーを行った。
とくにアルゼンチンのブエノス・アイレスでは、一週間のうちにドヴォルザークの協奏曲、そしてヘンリック・シェリングとブラームスの二重協奏曲を演奏し激賞を浴びた。この成功をきっかけに彼女は中南米全土で広く活躍することになる(カストロ議長の招きにより、キューバで演奏した最初のアメリカ人にもなる)が、アルゼンチンへの想いは強く後に彼女はここで結婚し、1990年代半ばにニューヨークに移るまで、この地に住むことになる。
彼女の演奏はハイフェッツやグリュミオーといった著名な音楽家からも高く賞賛された。クラウディオ・アラウは「クリスティーヌ・ワレフスカは世界最高のチェリストだ」と評し、またアルトゥール・ルビンシュタインは「彼女は私が今までに接したチェリストの中で最も鋭い感覚の音を出している。彼女は唯一、私をはっとさせたチェリストだ。」と述べている。1975年にプラハで彼女の演奏に接したロシア人の高名なチェロ教師、レフ・ギンスブルクはフォイヤマンを引き合いに出し、彼女こそがピィアテイゴルスキーの後継者だと絶賛した。
レコーディングにおいても活躍はめざましく、21歳の時にはエリアフ・インバルの指揮でシューマンの協奏曲、ブロッホの「シェロモ」とブルッフの「コル・ニドライ」をフィリップスレーベルからリリース。その後は同レーベルの専属アーティストとなり、ドヴォルザーク、サン=サーンス(第二番の協奏曲は世界初録音)、プロコフィエフ、ハチャトゥリヤン、ヴィヴァルディ、ハイドンといった主要な協奏作品の録音を次々と行った。
とくにドヴォルザークの録音の評価は高く、イタリア・ピサ大学のFabio Uccelli教授が執筆した「Anton Dvorak's Farewell (Edizioni TECNICONSULT, 1997年, フィレンツェ)」という本の中でも、ロストロポーヴィチの1979年の録音との対比に基づく詳細な検討の結果、彼女の録音は全面的に支持されている(脚注)。この本により確立された評価により、ドヴォルザーク没後100年にあたる2004年には、フィレンツェ五月音楽祭での3回のコンサートを含め、ブラジル、アルゼンチン、米国、中国、香港等でドヴォルザークの協奏曲を演奏するオファーが舞い込んだ。
彼女はまた、ハチャトゥリヤンやグローフェ(「Christine」と題する小品)など多くの作曲家から作品を献呈されている。特に、史上最強のチェリストと謳われたエニオ・ボロニーニ(彼は自分のために超絶技巧のチェロ作品を数多く残した)は、彼女を自分の娘のように可愛がり「お前だけが弾くように」とその全ての自筆譜を生前ワレフスカに渡している。
使用楽器は1740年製ベルゴンツィ。日本では1974年に演奏旅行を行っている。2010年のツアーが実現すれば36年振り、二度目の来日となる。
脚注:上記の著作はイタリア語・英語にて全文を読むことができる。http://conoscenza.8k.com/